月
10
1月
2011
Stasia Capital調査部の安田です。
弊社のニュースレターにてコラムを執筆することになりました。
仕事柄、いろいろなところに記事を寄稿したり、インタヴューを受けたりしています。
どちらかというと、専門家的な立場から記事を書いたり、発言したりしますので、興味のある人にとっては非常に有益な情報になり得ます。
しかし、このようなニュースレター形式でマニアックに分析した市場分析を書くのは、少々場違いのような気がします。
以前、Whenever Onlineというポータルサイトで、「フィールドワークとしての中国不動産市場」というコラムを連載したことがあります。
業界の専門家がざっくばらんにコラムを書く、というコンセプトで、今回のニュースレターでの連載にぴったりだと思っております。
すでに終わってしまった連載なのですが、ここで復活させたいと思います。
(実は、以前のものの中にも、マニアックな内容が入ってしまっているのですが)
以前の「フィールドワークとしての中国不動産市場」をご覧になりたい方は、以下よりダウンロードいただけます。
http://www.stasiacapital.com/archives/1046
閑話休題。
先日、日本の某企業から「世界戦略会議で使用する資料をつくってほしい」という依頼を受けました。
いったい、そこでどのような世界戦略が議論されるのかはわからないのですが、人口減少と長引くデフレの影響から日本国内での需要が頭打ちになっている以上、日本国外で売り上げないと、企業の存続が危ぶまれるという危機感があるのでしょう。
私にとっては、調査研究することが仕事なので、彼らの目的は何でもいいのです。
私は、ただ単に、クライアントに耳を傾け、彼らの論理と私の論理の妥協点を探るだけです(私にもそれなりに見方というものがあるし、納得できない議論は書かない)。
この仕事のおかげで、2010年の中国不動産市場とマクロ経済情勢を振り返ることができました。
(しかも、これで調査費が入るわけです。お金をもらって勉強しているようなものです)
しかし、ひとつ思うのは、日系企業はびっくりするぐらいスピードが遅く、タイミングが悪いということです。
いろいろな意味で、日本が危機的な情況に置かれている現在、ようやく重い腰をあげて動き出したとするならば、あまりにも遅すぎます。
中国が1970年代末に改革開放路線に方向転換し、模索の80年代を経て、90年代に「世界の工場」としての地位を固めていきます。
90年代、世界は中国でモノをつくらせて輸出しました。
そして、香港やシンガポールなどの華僑系の企業や台湾系企業は、早くから中国が不動産の一大市場になることに気づいていました。
これを追いかける形で欧米系の不動産企業や投資ファンドらがやってきました。
アジア通貨危機が終わり、本格的な回復基調が確認された90年代末から2000年代はじめのことです。
このタイミングで動いた日系企業はほんのわずかです。
彼らは、うまく売り抜けることができましたし、今でも中国で一定規模の開発や投資を続けています。
なぜ、多くの日系企業がこのタイミングで動かなかったのでしょうか?
それは、日本の景気がよかったからです。
戦後最長といわれる「いざなみ景気」で、わざわざ海外に目を向ける必要がなく、国内の不動産も好況を呈しました。
確かに、私のもとを訪れた日系企業の担当者たちは、景気のよい時から「いずれはダメになるから中国でやらないといけない」という危機感はあったようです。
ただ、残念なことに、この意見は彼らの社内の中で消えてしまったようです。
国内の情況が悪くなると、海外に目を向けるという、日和見主義的な日系企業が多いように見受けられます。
経営層から「海外をやれ」と一気に命令が下り、ぼーっとしていた中間層が慌てて部下に命令を下し、今、にわかに中国について勉強させられている担当者は多いのではないでしょうか。
(ちなみに、過去別の担当者が調査した蓄積は、ほとんど無視されている場合が多い。むしろ、やっていたことすら知らない人も多い)
夜でも街はうっとうしいほどの人
石を投げれば酔っぱらいにあたる
おじさんは言う「あのころはよかったな…」
解る気もするけど タイムマシンはない
(中略)
僕の前には さめた北風が吹く
ぬるま湯の中 首までつかってる
いつか凍るの? それとも煮え立つの?
(斉藤和義「僕の見たビートルズはテレビの中」)
ぜひとも、中国担当者の方がたには、ぬるま湯の置かれた情況についてよく考えてもらいたいものです。
もう「あのころ」は戻ってこないでしょうから。