水
30
3月
2011
少し前に、ある日本の不動産関連企業の社長(Aさん)と、その方を紹介していただいた弊社の顧客(Bさん)、私の3名で意見交換をした機会がありました。
その中で、株式投資の話になりました。
Aさんは、以下のようにいいました。
「株に投資するということは、収益性や将来性も見るけど、やはり、その会社を経営している人の人柄や企業としての考え方を見てしまいますね。投資対象に惚れ込むというか。そういったことで、『よし、投資してみよう』と思うんです」
これに対して、Bさんは、以下のようにいいました。
「Aさんの意見は完全に間違っている。投資の世界では、そういった『私情』は無用。金融工学や数学などを駆使し、財務諸表を冷徹に分析して、投資対象として魅力があるかどうかが判断材料なんです。その他の余計な判断が入ると、投資として成功しないですよ」
私が見る限り、AさんもBさんも、経済的に立派に自立しておられる方です。
ビジネスに対して、自分なりの見方があって、それを実践して今の地位を築いた方々です。
私がお話を聞きながら考えていたことは、「果たしてどちらが正しいのか」ということでもないですし、「それぞれの投資スタンスがあるからそれに従えばいいのではないか」ということでもありません。
ずっと頭の中にあったのは、「呪術」です。
文化人類学における研究分野のひとつとして、呪術研究があります。
フレイザーやエヴァンズ=プリチャード、レヴィ=ストロースなどの議論を紹介する余裕はありませんので、ここでは、簡単な呪術の事例を出したいと思います。
1.ある呪術師が、ブラックマジックをかけるために、ある人の毛髪を入手する
2.入手した毛髪を呪術師が、呪文をとなえながら燃やす
3.結果、ある人はケガをする
そもそも、「ある人の毛髪」と「ある人がケガをする」ことには関係がありません。
毛髪を燃やすことで、ある人がケガをするとは限りません。
呪術師は、「ある人の毛髪」を処分することで、「ある人がケガをする」と誤認しているわけです。
将来のことは誰にもわからないので、「ある人の毛髪」を処分することで、自分が期待したい結果を導きだそうとする作業なのです。
投資というものが、誰にもわかからない将来について予測し、予測が当たれば儲かるということとするならば、投資が呪術のように見えてくるのです。
「呪術」から考えていくと、Aさんの議論もBさんの議論も同じに見えます。
投資家や投資を斡旋する企業が必死になって投資しよう/投資家を獲得しようとする動きは、「呪術師の誤認」を敷衍しているように思えます。
私には、投資家や投資を斡旋する企業が呪術師のように見えてくるのです。
もしかしたら、投資のヒントは、我々が非科学と思っている「占い」や「風水」のようなところに転がっているのかもしれません。