月
09
5月
2011
2007年の初頭、私は顧客からの依頼で、中国のある都市にフィールドワークに行きました。
その都市には、勤め先の拠点はなく、会社の中に、その都市に詳しいスタッフはいませんでした。
土地勘なし、コネなしのところで、10名ほど実際に会って聞き取り調査をしてこい、という内容が含まれていました。
統計ならばレポートや統計局のデータを参照すればよいのですが、右も左もわからないところでの聞き取り調査はそれなりにたいへんな思いをしました。
はじめて行く土地で、誰も知り合いがいないところで、どうやったら10名ほどから聞き取り調査をおこなうのか?
いろいろな企業に電話をしましたし、飛び込みで企業訪問もしました。
営業なら会ってくれるかもしれませんが、私の目的は調査。
売るものも持っていません。
非常に怪しまれました。
顧客は私の報告書を待っている、でも調査を進めるにも誰も知らない。
焦るばかりで空回りが続きました。
かつて、私はインドネシアのスラバヤという都市で、一年間、フィールドワークをおこなったことがあります。
現地で知り合ったインドネシア人の家で居候させてもらい(今考えるとずうずうしいこと極まりない。もしかしたら犯罪に巻き込まれていたかもしれない)、そこから時間をかけてゆっくりとコネクションを広げていきました。
ゼロから現地に入り、情報を収集し、論文を書いていく。
何もないところから、何かをつくりあげていく作業というものを、自らの経験から体得していきました。
中国のある都市でも、怪しまれ、ずうずうしく思われながらも、何とか10名の聞き取り調査を完遂しました。
コネも何もありませんから、ひとり捕まえては、「すいません、誰か紹介していただけませんか?」と聞きまくる。
心優しい人は、数時間にわたる聞き取り調査につきあってくれて、かつ人を紹介してくれました。
今でも、協力してくれた方々には感謝しています。
何を考えているのかよくわからない日本人が、いきなりインドネシア人の家に入り込んで、彼らの文化や宗教などについて聞き取っていく。
この作業を経験したからこそ、顧客からの要望に応えるためのノウハウとなり、無事に調査を終えることができました。
このノウハウは、決して与えられて習得できるものではありません。
皆さんに伝えないのは、ノウハウを出し惜しみするというわけではなく、経験を通じてしか得られないものであり、微妙な感覚を含んでいるものなので、うまく言葉として伝えることができないからです。
とにかく、現場に行って行動を起こすことからしか得られないのです。
今日から、私の部下が、弊社の拠点がある都市にフィールドワークに出かけています。
本来ならば、フィールドワークなしで報告書を書く予定でいたのですが、行ったことがない場所のことについて何かを書くというのは難しいと判断し、現場に向かわせました。
拠点のスタッフには、私から若干の取り計らいをお願いしておいたほかは、彼に対して、とくに何も与えていません。
私がかつて経験してきたような「ゼロからの調査」ではないのですが、現場で自分で考え、どのようにしたら結果を出せるのか、自分なりに考えてもらいたいという期待があります。
お膳立てされた調査は、現場での想像力を削ぎます。
現場で現場の声に耳を傾け、葛藤し、悩み、焦り、失敗すること。
フィールド経験という「獅子の子落とし」こそ、想像力を働かせた仕事をさせるための通過儀礼だと思っています。