火
02
8月
2011
2011年7月23日の夜、浙江省温州で発生した高速鉄道事故は、中国国内でも大いに注目されています。
日本でも多くのことが報道されていると思いますので、事故の内容を詳しく書くことはしません。
そのかわり、私が見聞きする中で考えたことを書きたいと思います。
中国国内の報道規制や言論の自由の問題にも関わってきますが、中国では、けっこうな数の災害や事故があやふやなまま闇に葬られているように思います。
比較的まともに報道されるのは天災です。
おそらくなのですが、天災は人為的な事故ではないので、中国政府としては「誰の責任にも帰することができないものだけど、我々としては精一杯あなた方をサポートしますよ」という態度がとりやすいからでしょう。
もちろん、天災だけど人災的な側面がある、ということはあるでしょう。
(東日本大震災における原発問題もこの類でしょう)
しかし、あくまで天災であり、「これは誰にもコントロールできない」ということを訴えるわけです。
天災は、「人情深い中国政府(ひいては中国共産党)」を演出するにはたいへんよい機会となります。
すなわち、天災は中国共産党の支配強化に利用されるわけです。
人災となると、責任問題となります。
責任問題となると、誰が悪いのか、という話になります。
政府にとっては「汚点」となるわけで、誰のクビを飛ばすのか議論されることになります。
例えば、炭鉱の事故だと、炭鉱関連企業のトップが逮捕され、鉱山の監督責任がある地方政府のトップが更迭される、というようなことが起こります。
誰が責任をとらされたのか、ということで事故の重大度がはかれます。
なお、中国の場合、誰を捕まえて誰のクビを飛ばすかということが、非常に速いスピードで決定されます。
このスピードが重要で、「中国政府としては、このような事故が起こったのは遺憾であるが、すぐに責任ある対処をしました」ということをできるだけ早く国民に伝えます。
一方、明らかに中国政府にとって都合の悪い事故の場合は、闇に葬られることになります。
もっとも、最近は、国民の情報伝達手段が飛躍的に増えましたので、なかったことにする、ということはむずかしくなりました。
今回の事故は、まさに天災と人災をどのように利用するかという戦略が悪い方向に動きました。
はじめは、今回の事故は「落雷」であるとして、いつもの「天災パターン」で片づけようとする姿勢をとり、原因の究明はいちおうやります、ぐらいの態度でした。
中国が威信をかけて開発した高速鉄道なので、天災という理由にしないとメンツがたたない、ということだったのかもしれません。
すぐに情報が伝わるようになった世論の勃興に気づきはじめ、今度は、なかったことにする策に出ました(事故車両を埋めるという暴挙)。
何とか影響を最小限に留めたいという中国政府の意向は、発表された死亡者数でもわかります。
当初、今回の事故で鉄道部が発表した死者数は35名でした。
この発表を受けて、「35名は少なすぎる」という意見が相次ぎました。
ふだん、厳しい報道規制にさらされているマスコミも厳しいコメントを出しはじめました。
(一部では、36名以上だと重大事故と取り扱われ、関係者の幹部クラスのクビが飛ぶために35名にしたという議論がありますが、真意はわかりません)
上海鉄道局の幹部3名を解任することで、人災であるサインを出したものの、世論を抑えることができないと判断した中国政府は、本格的な調査に乗り出しました。
今のところ、原因は信号機の欠陥と人為的なミスが重なった、ということになっています。
天災と呼ぶには早すぎで、人災と呼ぶには遅すぎたのです。
(つづく)